頭の中には、走馬灯のように後悔だけが渦巻いていました。
結婚前の私の持ち物を、夫は私に断りもなくゴミ袋に詰めて何十袋も捨てていたとき、、
結婚して1か月も経たないうちに銀行の融資の連帯保証人にされたとき、、
『事業資金が無い』といって私の弟を連帯保証人にしていたとき、、
運転資金が無くなり私の母にカードを借りてキャッシングをしていたとき、、
私を闇金に連れていき、私がお金を借りてくるのを出口で待っていたとき、、
売上が上がらないと情緒不安定なフリをして自殺をほのめかし、夜な夜な私に死場所を探させたとき、、
お金が底をつくとアパートの壁をこぶしで殴り大きな穴を開けたとき、、
首を吊るフリをしてロープを持っていき、私に見られないよう隠れていたとき、、
娘が産まれてくるというのに出産の準備品を何も用意する気が無いことを知ったとき、、
出産費用を結婚前の私の名義のカードでキャッシングして来たとき、、
出産費用の市からの助成金の振込先を夫の口座にしていしていたとき、、
会社では外面ばかり良く、格好つけているのに、家ではワガママで幼稚な姿を見せつけられウンザリしたとき、、
自分では靴下すら履けないフリをして毎回私に履かせていたとき、、
義母に娘を預けて外出したら、娘が何も食べ物を与えてもらえず、私が帰るまで玄関マットにくるまって寝ていたのを見たとき、、
夫が私の同級生と浮気していて「あなたがちゃんと相手してあげないから私が代わりに相手してあげているのよ!」と罵られたとき、、
アパートの電気やガスが止められて私たちが生活出来なくても、自分と会社のことばかり良く見せていたとき、、
私が学生時代の女友達と会うことすら束縛して自由にさせなかったとき。
産後の辛い時期も実母の所へ里帰りさせてもらえなかったとき・・・
結婚する3年前26歳の11月に私は父の事業の失敗で、たった3日間で実家も財産も全て失い、一家離散しました。
『これ以上の苦しみはもう無い』
と思っていたのに、
“夫たち”に骨の髄まで吸い尽くされたのです、、、
こんなに“別れる”タイミングがあったにも関わらず、なぜ「離婚」に踏み切れなかったのか、
その答えはただ一つ。